今回は、前回お伝えしたとおり、日本に昔からある様々な青の呼び名について書いてみたいと思います。
ある和色の辞典サイトでは、青系の伝統色だけで77色が紹介されていました。青、藍、紺碧、群青、瑠璃など、比較的馴染みのある呼び名から、蟹鳥染、次縹、藍鼠など初めて聞くような名前まで、実に表現豊かです。
私がいちばん惹かれる青は、宮古島の美しい青緑の海の色──いわゆる「宮古ブルー」です。宮古島の海は、エメラルドグリーンからターコイズブルー、コバルトブルーへと多彩に移り変わる、鮮やかな色彩が特徴だといわれます。
青と緑が溶け合うこの海を、私たちはごく自然に「青い海」と呼んでいます。では、青と緑の境目は、いったいどこにあるのでしょう。調べてみると、青と緑の意外なつながりが見えてきました。
海は「葡萄酒色」だった
まずは、「青は新しい色だった」といわれる話から調べてみました。
1858年、のちにイギリスの首相となるグラッドストンは、古代ギリシャの詩人ホメロスの作品に出てくる色の言葉を丹念に数えました。すると、黒と白にあたる言葉が圧倒的に多く、青と呼べる言葉が見当たらなかったのです。海は「葡萄酒色の海」と描かれていました。
グラッドストンは、古代の人々は色をよく見分けられなかったのではないかと考えました。ただ、この考えは現在では受け入れられていません。古代の人々も、私たちと同じ目で同じ空や海を見ていたと考えられています。違っていたのは、目ではなく言葉のほうだったようです。
1969年には、バーリンとケイという2人の研究者が世界の言語を調べ、色の名前が生まれる順序には共通の傾向があると発表しました。まず明暗を表す黒と白、次に赤、そのあとに黄や緑が続き、青は比較的あとから独立した名前を持つことが多い、というものです。この説はその後何度も修正され、今も議論が続いています。それでも、青が「いつの時代も当たり前にあった名前」ではないことは、確かなようです。
日本の「あお」は、緑も灰色も包んでいた
調べてみると、日本にも似た話がありました。古代の日本語で色を表す基本の言葉は、アカ・クロ・シロ・アヲの4つだったという説です。国語学者の佐竹昭広氏によるもので、これらは色の名前というより、光の感じ方を表す言葉だったとされます。アカは「明」、クロは「暗」、シロは「顕(はっきり)」、そしてアヲは「漠(ぼんやり)」。
青は、もともと「ぼんやりとした」色だったということです。そのため古代の「あを」は、今の青だけでなく、緑や灰色も含む広い言葉でした。青葉、青りんご、青虫。緑のものを「青」と呼ぶ言い方は、その名残として今も暮らしの中に生きています。
子どもの頃、私は信号を見るたびに「緑なのに、どうして青信号と言うのだろう」と不思議に思っていました。
調べてみると、日本で最初の電気式信号機が東京・日比谷に設置された1930年代のはじめ、法令などでは「緑信号」と書かれていたそうです。ところが、新聞が「青」と報じたことで「青信号」という呼び方が広まり、1947年には法令でも正式に青信号となりました。さらに1970年代の前半には、国際的な基準で「緑」とされる範囲に収めながら、できるかぎり青に近い色にすることが定められたといいます。昔の信号がもっと緑に見えたという私の記憶も、思い違いではなかったようです。
同じような例に、青森という地名があります。江戸時代の初め、弘前藩が今の青森市に港町を築いたとき、その場所に港へ入る船の目印になる「青い森」があったことから名づけられたといわれています。その森は、冬でも青々と茂る小高い丘だったと考えられています。つまり、青森の「青」も、常緑の木々の緑のことだったのです。
藍が育てた、たくさんの青

それでは、日本の青の名前はどのように豊かになっていったのでしょう。調べるうちに、その中心に「藍染め」があることが分かってきました。
藍染めは、布を染料に浸す回数によって濃淡が生まれます。その段階ごとに色の名前がつけられ、「藍四十八色」といわれるほどの種類があるそうです。
いちばん淡いほうの浅葱色は、若い葱の葉の色から名づけられたとされ、『源氏物語』や『枕草子』にも登場します。その少し濃い色が縹色です。すでに『日本書紀』に濃い縹と浅い縹の名が見られ、平安時代の法典『延喜式』には、縹の濃さが4段階に分けて定められていました。さらに藍染めを何度も重ねた深い青が紺色で、古くは「深縹」と呼ばれていたそうです。
やがて藍染めは、淡い水色から黒に近い色まで染め分けられるようになり、庶民の着物のもっとも身近な色になっていきました。1870年代に日本を訪れたイギリスの化学者アトキンソンは、町にあふれる藍の色に心を動かされ、「ジャパンブルー」という言葉を生んだといわれています。
ひとつの染料の濃い薄いに、これほど細やかな名前をつけてきた人々。名前が増えるほど、青を見分ける目も育っていったのかもしれません。
名前があると、見える青も変わる?
その「見分ける目」について、興味深い研究がありました。
ロシア語では、明るい青を「ゴルボイ」、濃い青を「シーニー」と呼び、別の色として必ず言い分けます。2007年、ロシア語を話す人と英語を話す人に、青の色見本を見比べてもらう実験が行われました。すると、ロシア語を話す人は、2つの青がゴルボイとシーニーに分かれるときのほうが、同じ呼び名に入るときより速く違いに気づいたのです。この傾向は、色どうしがよく似ていて見分けにくいときほど強く表れました。一方、英語を話す人には、そうした違いは見られませんでした。
見えている色そのものが違うというより、言葉が「違い」に気づく手がかりになっている、ということなのかもしれません。浅葱、縹、紺。青の濃淡に名前を与えてきた日本の人々も、言葉とともに、青の中のわずかな違いを見つめてきたのでしょう。

たくさんの青の呼び名の中で、私がとても惹かれるのは「碧」です。澄んだ青緑の碧は、私の中で宮古ブルーとつながっていて、さらに太平洋の南の海へと思いが広がっていく色でもあります。
思えば、碧も宮古ブルーも、そして青信号や青森の「青」も、みんな青と緑のあいだにある色でした。昔の人がひとつの「あを」と呼んでいたのは、こうした色の広がりそのものだったのかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

